コラム 6月号

『稼ぐが勝ち』っていう本があります。
あの、ホリエモンって人の書いた有名な本だから、読んだ人も多いかも。
ボクは読んでないので、中身は知らないし、だから本の批評はできません。
ただ、今回の「コムスン事件」を見ていると、どうもこの題名が思い浮かんできちゃう。

「法の網をかいくぐってでも、稼いだヤツの勝ちだ。」
そういう信念の経営者は、意外に多いのかもしれません。
折口という人も、会見では神妙でも、会社の会議などでは「稼ぐが勝ち」方式だったのだとか。
たぶん、それが偽らざる本当の姿なのでしょう。
子どものときも、「勉強なんて、成績のいいヤツが勝ち」って育てられたのかな。

「法の網をかいくぐるのは、悪いことではない。」
「法律に反しなければ、何をしてもいい。」
こういう意見、キミはどう思うかな。
たぶん、「そういう考えは、間違っている」って言うんじゃないかな。
ボクもそう思うし、この質問はワリと答えやすい。

じゃあ、ちょっと形式を変えて、こう質問にしたらどうだろう。
「法律は、きちんと守らなければならない。」
キミは、この質問に「イエス」と答えるか、「そうとも言い切れない」と答えるか。

「法律に反しなければ、何をしてもいい」という主張と、「法律は、きちんと守らなければならない。」という主張。
一見、正反対のようだけど、どちらも「法律を絶対視している」という点で、じつは似ている主張なんだ。

人間は怠け者だから、いちいち理由なんか考えずに、ルールや法律を守っちゃうほうがラク。
だから、思考停止して、ルールや法律を守ろうとしちゃいがちです。
そして、もともとは「生きやすい社会にするため」に作られたルールや法律が、「生きにくい社会」の原因に変わっていったりする。

たとえば、ボクが中学生のとき、校則でこと細かなことまで決まっていた。
髪型から、靴下やパンツの柄まで。
中学生のときは、そういうのに反発して、前髪を顎まで伸ばしたりしてました。
いま思うとかなり幼稚ですが(汗)、その校則が、ホントに子どもの健全な育成に必要なことなのか、どうしても疑問で。

ルールや法律ってのは、ただ守ったり破ったりするんじゃなく、その成り立ちや存在理由を考えてみるとおもしろいです。
存在理由を考えるとき、「私は」という視点ばかり振り回してはいけない。
「車で、踏み切りの前で一時停止する必要なんてない」と主張する人もいますが、それは「私は」という視点だけで考えている典型的な誤りです。

そうやって考えていって、やがて「このルール(法律)は、このケースでは破るべきではないか」と思うときがきます。
そのときは、みずからの名の下に破る。
守らなかった結果について、責任を負う覚悟で破る。
かなり思い切った暴言かもしれないけど・・・・・・、ボクは、それがルールや法律に対する姿勢であるべきではないかなぁ、と思うんです。

キミの学校では、校則でどんなことが決まっていますか?
中には、うっとうしいものもあるでしょ?
それを、愚痴りながら守るのか、ただ幼稚に反発して破るのか、それともみずからの名の下に破るのか。
考えてみると、なかなか奥が深いものですよ。

「『法律に反しなければ、何をしてもいい』という主張は、間違っている。」
たしかに、そのとおりだと思う。
でも、ルールや法律について考えもせずに、そう主張するだけではいけないんではないかな。

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