コラム 1月号

車の中で珍しくラジオを聴いてたら、ちょうど「適職診断サイト」の紹介をやってました。
転職情報誌か派遣会社がスポンサーなのかな。
世の中ではふつうに使われる言葉ですが、ボクはこの「適職」という言葉を聞くたびに、「???」な気持ちになってしまいます。

以前、このコラムで「『13歳のハローワーク』という本がおもしろいよ」と書きましたが・・・・・・、じつはそのときも、「職業」という切り口にばかり着目することには、違和感を持ってたんです。
「自分の仕事」というものを考えるとき、「最適な職業は?」と、答えを外にばかり求めるのは、ちょっと違うんじゃないかなぁ。

塾業界では「塾ジプシー」という言葉があるんですが、知ってますか?
こうした「「適職」を求める風潮」は、「転職ジプシー」を生み出すような気がしてならない。

ボクの親の世代は、「いまの仕事を辞めたら、食えなくなる」という恐怖があったそうです。
だから、何が何でも、その仕事にしがみつこうとする。
日本全体がとても苦しい時代ですが、「辛いこと苦しいことがあっても、乗り越えていく」というバイタリティを生み出してくれました。

今は、適当にアルバイトでもしていれば、とりあえず食うことだけはできますよね。
だから、何かちょっとした障害があるだけで、ふわふわしがち。
結果として、「青い鳥を求めてさまよい歩く」という情けない風潮を、生み出しちゃっているのかもしれません。

そう、現代の職業選択の風潮は、子どもが「自分の理想の彼氏(彼女)は、どこにいるのかしら?」と空想しているような、幼稚なにおいがします。

キミは、「私の理想の彼氏(彼女)は、こんな人」と、理想像を思い描いたりしますか。
でも残念ながら(笑)、実際に結ばれるパートナーは、その理想像とは似ても似つかないケースが多いんですねぇ。
思い描いていた人とはかなり違う人を、心の底から愛するようになるケースが多い。

なぜそんなことが頻繁に起こるかというと、ちょっとむずかしく言ってしまうと、「「理想」というのは、対象の中に客観的に存在するのではなく、自分と対象との関係性の中に存在する」からなんです。

「理想の彼氏(彼女)」というのは、じつは、この世に存在しないんです。
自分と相手の中に、「理想の関係」を作り上げていくものなんです。
結果として、その相手が、「理想のパートナー」になっていく。

「このオジサン、何言ってるんだかわかんないぞ」って思うかもしれませんね。
職業のことを話されても、まだまだ現実感が持てないかもしれない。
そうだ、「職業」を「学校」に置き換えてみてください。

自分の進学した学校を、すぐに辞めたがるヘナチョコ人間、いるでしょ。
自分が決心したり、縁があったりして選ばれた学校です。
少なくとも、ある程度の期間はその中で闘ってみるべきじゃないかな。
苦しくても、「逃げられない」と覚悟を決めてガンバってみることも、必要じゃないかな。
そして、どうしても「辞めるべき」となったときは、キチンと辞める。
辞め方というのは、ホントに人柄が出ます。
キチンと、礼を尽くして、スジを通して辞める。

今回は、だいぶ先の話になってしまいましたが、どこか頭の隅にでも入れておいてもらえると、うれしいです。
学校選びでも仕事選びでも、「自分の理想」を外にばかり求めてはいけません。

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