長男の夏休みの宿題、難関の「読書感想文」について、
去年もブログに書きましたが、
今年もまたまた、手伝ってしまいました。
なんと、9月1日になって、「何を書こうか」と悩んでいるしまつ。
戦略的敗北です(ーー;)
去年と同じく、1~6の手順で、
夜10時に、ようやくイメージが出来上がりました。
朝、あわてて下書きを完成。
「清書は、学校に行ってやる」と言っていたのに、
下書きを忘れていくありさま┐(‘~`;)┌
ちゃんと反省して、来年は計画的にやろうね。
#エラそうに言える身分ではありませんが (^^;ゞ
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「ヨルの神様」を読んで
物語は、弟といっしょに塾に向かう途中、ファミリーマートの公衆電話が鳴る場面から始まります。
「ヨルの神様」という言葉にひきつけられ、主人公の恵(めぐむ)は、「公園」という言葉をたよりに探し始めます。
そして、ようやく「ヨルの神様」に出会うことができます。
でも、「ヨルの神様」には特別な能力があるわけでもなく、ただ物静かな青年。
しかも、犯罪計画まで立てています。
その計画は、恵のお父さんが教室長をやっている塾に、電話線どろぼうをしようというものでした。
恵は、その計画に手をかすことにします。
「ヨルの神様」と出会って、それまで平凡な子どもだった恵が、変わっていきます。
ぼくは、なぜこの本を読もうとしたか、思い出してみました。
まず、題名が不思議な感じで、おもしろそうだったからです。
なぜ、夜の公園が舞台なのでしょうか。
「夜」は、ぼくたちにとって、未知の世界という感じがします。
しかも、夜の公園は、社会の中にぽっかりとあいたブラックホールみたいな存在です。
ただなんとなく毎日をすごす恵が変わるのに、ふさわしい感じがしました。
恵は、最初は電話線どろぼうを反対していたのに、止めたり、親に報告をしたりしなかったのです。
「つげ口」というと、悪いことのように聞こえます。
でも、ちゃんと報告しなければならないこともあります。
恵が、なぜ計画をとめなかったのか、なぜ最後には積極的に協力までしてしまったのか。
その気持が、よくわからなかったので、父に聞いてみました。
父は、「善と悪は相対的なものだ」と、よくわからないことを言っていました。
父は、恵の気持ちと似たような例として、ねずみ小僧のことを話してくれました。
ねずみ小僧は、悪いこととわかっていても、積極的に金持ちから金をぬすみます。
そして、びんぼうな人にあげていました。
人間は、悪いことであっても、それをやることでだれかを幸せにできるとしたら、天びんにかけて、重い方に行ってしまうのかもしれません。
ぼくたちは、悪いことをしてはいけません。
それは、当たり前のことです。
でも、「悪いこと」とされていても、なぜ悪いのか考えて、あえてその悪いことをすることもあるのかもしれません。
「悪いこと」を、「やってはいけない」と言われたからやらない。
それだけではなく、やっていいのか、なぜやっちゃだめなのか、自分で判断していかなければいけないのだと思います。