お客さまは神さまか?

「お客さまは神さまです」
ごぞんじ、三波春夫の名ゼリフです。
三波春夫といったら、大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」が、すぐに頭に浮かんじゃう。
「1970年の、こんにちは~♪」だから、もう35年も前のことなんですね。

どんなに大物歌手と言われても、応援してくれるファンへの感謝を忘れない。
「お客さまは神さま」は、そういう気持ちから出た言葉なんでしょう。

しかし、サービス業の世界では、その同じ言葉が、妙な解釈で広まってしまった。

経営者は従業員に、こうお説教する。
「おカネをいただく以上、お客さまは神さまですから、従業員は心を込めてお客さまに接しなさい。」
上司の顔色ばかりうかがう従業員に、「お客さんの方に顔を向けろ」と注意する意味でしょう。
ここまでは、許せます。

ところがこれが、お客さんと接する現場スタッフの段階で、さらにゆがんだ解釈をされてしまう。
「おカネをいただく以上、お客さまは神さまで、従業員は下僕のように仕えるべきだ。」
これじゃあ、自分のサービスの意味も考えない、拝金主義となんら変わりがない。

こんな傾向に対して、「お客さんは神さまではない」ことを、わかりやすく説明してくれるコンサルタントさんもいます。

もちろん、お客さんはだいじに決まっている。
しかしそれは、自分のポリシーを捨てて奴隷になれ、ということじゃない。
自分の伝えたいものを受け取ってくれる、ファンのようなものだ。
・・・こう説明されると、とってもわかりやすいですね。
昨日のブログに書いた平野秀典という人のように、「伝える」ということをもっと重視して、「お客さんを恋人のように考えろ」という人もいます。

ボクはよく、「ボクらのやってることは、お祭りみたいなモンだ」という言い方をしてきました。
「ボクらはお祭りのスタッフ、そして、お客さんはお祭りの参加者」そんな考え方です。

パソコンスクールは、一般的な業種の説明をすると、「パソコンの使い方を教え、その対価としてお金をもらう」という説明になります。
しかし、ボクらにとって、それは目的じゃなくて、手段にすぎない。

より多くの人が、「豊かな人生」を生きるキッカケをつくる。
ボクは、自分の仕事が、そういう「キッカケづくり」になれたらなぁ、と願っています。

人間は、「食うこともできない」という状態では、それを克服することに熱中する。
しかし、そういう状況を脱出すると、今度は「より一層、豊かに生きること」を考え始めます。
そして、創作・表現・コミュニケーションといった活動を通して、自分にとっての「豊かさ」を求めるようになります。
『パソコンど~じょ~』の目的は、そうした「文化的人間」の活動を盛り上げるために、環境を整備し、必要な「場」を提供し、音頭をとることをめざすもの。
・・・ややこしい言い方ですが(^^;、そういうスクールなんです。

つまり、祭りのコンセプトがあり、ボクらはその祭りのスタッフで、お客さんは参加者。
みんながその祭りに参加し、盛り上げていこうとしている。
・・・それが、ボクのイメージしている「サービス業」なんです。

そういえば、ときどき「なんで『パソコンど~じょ~』って言うの?」って聞かれたり。
どういう名前にしようか、考えてるときに、この名前がスキッと自分の気持ちを表してる気がしたんです。

「スキルを教えるだけの場ではない」というポリシーのあらわれというのかな。
描いているコンセプトを伝える、そういう精神的な伝達の場だから、「道場」。
さらに、人間には「遊び心」がたいせつ。
「遊び心」は、「創作・表現」に欠かせません。
だから、「道場」でも「どーじょー」でもなく、フニャついた「ど~じょ~」にしてみたんです。

「生徒さんが、WordとExcelだけ教えろって言うんです。顧客ニーズに応えるべきです。」
こんなことを言う先生は、もういなくなりましたが・・・
開校当初は、そういう先生がけっこう多くて。
こういう頭でっかちの先生に、こちらのイメージしているものを伝えるのは、ホントにたいへんでした。
どこで教え込まれたのか、「顧客ニーズ至上主義」が絶対に正しいと信じちゃってるんですね。
新聞とか、そういう「権威的なもの」の言うことが絶対的で、自分で判断せずに受け入れちゃうんでしょう。
「顧客ニーズ」を振り回した結果がどうなるか、考えたこともないんだろうな。

さすがに今は、「顧客ニーズ至上主義」を唱えるような先生は、いなくなりました。
しかし、「お祭り」というボクの考え方は、もう一歩伝わっていないような気がする。
今でも、「お金をいただいている以上」というフレーズを、何の疑問もなく発する先生もいますから。

もちろん、「お金」は重要な問題です。
組織を維持するためには、お客さんにお金をいただくとか、行政から助成金をいただくとかしなければなりませんから・・・
いわば、「組織を支える基盤」の一つです。

しかし、ボクらは拝金主義者じゃない。
「お金をもらった以上、コンセプトを捨てて下僕のように仕えます。」
そんなつもりは、さらさらない。
お客さんと直接かかわりあう、現場スタッフならなおさらです。
お祭りの最中に、「あの人は寄付してくれたから、楽しませよう」「あの人は寄付しないから、仲間はずれ」なんて、よけいなこと考えてたら、盛り上がれやしない(^^;
寄付はありがたいし、それがなければ祭りは成立しない。
でも、いざ祭りに入ったら、そんなことは考えず、スタッフは盛り上がること・盛り上げることを考えなきゃ。

「教室」っていうのは、経営者が作るものじゃないです。
先生が作るものでも、ないです。
じゃあ、だれが作るのか?
それは、最近よく話題になっている、「会社はだれのものか」っていうのと同じですね。

教室は、「経営者や先生といったスタッフと、お客さんと、みんなで作っていくもの」です。
だからこそ、拝金主義の先生ではいけない。
だからこそ、「Excelだけ教えろよ。それを手っ取り早くマスターして、なるべく早くやめたいんだから」なんて、シラけた人は、『ど~じょ~』の仲間に入れてあげない。

いまの『パソコンど~じょ~』は、「自分たちの教室」って思ってくださる生徒さんが、中心となって支えてくださっている。
ホントにありがたい、いい教室になったなぁ、って思います。
そういう、「参加者意識を持ったお客さん」こそ、三波春夫が「神さま」といった人たちなんじゃないかな。