終戦記念日

今日は、終戦記念日。
「本来は8月15日ではなく、9月2日だ」とか「「終戦」ではなく「敗戦」だ」とか、議論もあるようですが・・・
「そういうややこしいことは、関心ない」という人がほとんどでしょう。
恥ずかしながら、ボクもそうでして。

「戦争」そのものも、「国が持つ記憶」としては、どんどん薄くなっていますね。
ボクの父母は74歳で、戦争中は小学生だったワケです。
戦争の記憶を持つ、最後の世代。
疎開のことや、甥っ子が死んでいく様子や。
子どものころ、そんな話を母から聞いたことがあります。
年々、太平洋戦争の実体験を持つ人は、いなくなっていく。
だから、「国の記憶」がなくなっていくのも、しょうがないことかも。

「戦争をリアルに伝える人が、いなくなる」というのは、
「それだけ長い間、平和な世の中だ」ということだから、
喜ばしいことかもしれない。
テレビ番組でも、年々、戦争の記憶をテーマにしたものは減ってるし。
今年は、オリンピックで忙しいから、なおさらです。
辛く苦しい時代が遠くなっていくことは、いいことだと思わなきゃね。

でも、心の底では、「国の記憶として、鮮明に残さないといけない」っていう意識もある。
書物とか、映画とか、写真とか、歌とか・・・
太平洋戦争を記録したものに接すると、「遠い昔のできごと」になっちゃいけない、って気がしてくる。

北島の金メダルもいいけど、過去の記憶を強く確認することも、だいじなんじゃないか。
そんなふうに感じている人も、多いんじゃないかな。

国でも個人でも、すごく辛いできごとがあったり、とてもひどいことをしてしまったり。
そういうことが、時とともに「懐かしい思い出」になっていく。
でも、中には、いつまでもいつまでも、身近に感じていないといけないことも、あると思うんです。

ボクは、現代でも、けっこうあちこちに、当時と同じような精神状況があるんじゃないかと思ってます。
ちょっと気を許せば、「マスコミの意見」が自分の意見だと思い込んでいたりする。
大きな不景気とか、辛いことがあると、思考停止して転落する可能性は、いっぱいあるように思う。

具体的に書くと、政治色が強いことも多いから、とてもネットでは書けないけど・・・
この、とっても平和な日本のあちこちに、ブラックホールがあるんじゃないか、と。
現代でも、「形の違う戦争」のタネは、身近にころがっている。
そのことを忘れないためにも、過去の記憶を「思い出」にしない努力が、社会の中になければいけないんじゃないか。

・・・と、珍しくマジメに考えたりする一日でした。